熊本地震の被害状況。住宅被害は緩斜面の軟弱地盤中に集中

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熊本地震の家屋被害は緩斜面のある軟弱地盤中に集中していた

熊本地震で、最も家屋被害を受けたのは、益城町(ましきまち)の中心部です。

大きな被害をうけた地区は、活断層の直上ではありませんでした。

布田川断層から、およそ2~3キロメートルの北が、被害甚大地区となりました。

活断層の直上では、横ずれの地盤変状がありましたが、周辺の農地では、家屋被害は検討できなかったようです。

益城町の北の県道で、28号線沿いから南部の秋津川にかけて、西は、国道443号線から、県道235線までの、東西約2キロメートル、南北がおよそ300~400メートルの、東西に帯状に、被害集中地域が広がっていました。

この地域は、高い標高の県道28号線から、低い標高の秋津川あたりにかけて、緩い傾斜があります。

この緩い傾斜地で、集中的に家屋が被害を受けました。

地区により、地区全体が家屋全壊の被害に遭っています。

被害は、旧耐震基準(1981年以前)の古い家屋だけではなく、新しい家屋にもおよんでいます。

阪神淡路大震災でも、「震災の帯」と言われる、長田地区で甚大であった、帯状の家屋被害とよく似ています。

震災の帯は、直接的な活断層の動きとは別に、周辺より大きな地震の被害が出た特定の帯状の場所をいいます。 これは、1995年の阪神・淡路大震災で、被害の集中地域が東西長さ約20km、幅約1kmに帯状に連なって現れたことから注目されるようになりました。【防災情報ナビから引用】

益城町(ましきまち)では地盤の変状が、被害の大きな特徴としてあります。

緩い傾斜地では、大きな亀裂により、一部陥落していて、至る路面で亀裂がありました。

安永地区(やすなが)では、傾斜側に陥没し、マンホールなどは浮き上がり、道路がうねっていました。

寺迫地区(てらさこ)でも、道路に亀裂が入り、陥没し、マンホールが浮き上がっていました。

また、傾斜した土地では、開口亀裂(亀裂の幅が広がっていくパターン)があり、土地が傾斜方向にずり下がって、家屋は基礎部が壊れ、全壊していました。

傾斜敷地ので亀裂は、地盤がずり下がるように、傾斜側に向かって入っています。

そのせいで、建物の基礎の損傷が大きく、地盤の沈下や亀裂、建物と基礎部の剥離(はくり)などが、見られました。

地盤が破壊されたため、多くの建物が全壊の状態です。

ほとんどの石垣など擁壁(ようへき)は、損傷や倒壊の被害を受けています。

擁壁(ようへき)とは、土壌の安息角を超える大きな高低差を地面に設けたいときに、土壌の横圧に抗して斜面の崩壊を防ぐために設計・構築される壁状の構造物である。
【Wikipediaから引用】

また、分厚いコンクリートの擁壁(ようへき)が割れて、倒れる被害も多いです。家屋の敷地には、赤い紙で「危険」の張り紙が、多く貼られていました。

家屋も基礎部での損傷がとても多いです。

外観の見た目では、損傷が分かりませんが、沈下やひび割れのため、新しい家屋でも傾斜していて、「危険」の赤い紙が貼られていました。

熊本地震で被害にあった建物は、重たい瓦葺きの家屋です

2階建て木造住宅の多くは、1階がペシャンコになっている被害が目立っていました。

重い瓦のある家屋では、特にこの傾向が多くありました。

古い家屋だけではなく、新しい瓦葺きの家屋でも、1階が潰れている被害もありました。

完全に潰れるわけではありませんが、新耐震基準の建物も、部屋の一部が損傷したり、大きく傾いたりする被害を受けています。

県道28号線沿いの商業施設で、1階に壁の少ない建物が、潰れている状態が多く見られました。

東西方向には、全壊家屋が集中していますが、南北方向の地盤の傾斜方向では、傾斜が大きいところで家屋被害が大きいです。

逆に、傾斜のより緩やかな所で、被害は小さくなっています。

この地区で、まんべんなく家屋の被害が、おこったのではありません。

家屋被害が軽微な地区は、秋津川沿いの平地です。

益城町役場より北のやや高台の地区では、新耐震の新しい家屋では被害が軽微で、古い木造住宅の被害は大きかったのです。

家屋被害の分布は、まだら状となっています。

熊本地震で被害を受けた建物集中の要因

被害に遭った表層地質の主体は、未固結シルトが混ざった砂層です。

未固結とは、土粒子相互間の結合力が弱く、土粒子の分離が比較的容易であるか、または親指もしくは親指爪を押し込める状態にあること。【Weblio辞書から引用】
シルトとは、日本語で沈泥(ちんでい)。砂より小さく粘土より粗い砕屑物のこと。地質学では、泥(粒径が1/16mm以下のもの)の中で、粘土(粒径が1/256mm以下)より粒が大きく粗いもの(粒径1/16mm – 1/256mm)をシルトと呼ぶ。【ウィキペディアから引用】

中には礫(れき)が混ざり、簡単に指でくずせます。

礫(れき、英: gravel)とは、粒の直径が2mm以上の砕屑物のこと。 砂よりも大きい。 粒子が角張っている場合は、角礫(かくれき、英: rubble)という。 礫が固結してできた岩石は礫岩と呼ばれる。【ウィキペディアから引用】

秋津川などの河川堆積物だと思われます。

この層の下には、火山噴出口があります。

さらにその下には、第四紀(地質時代の一つで、258万年前から現在までの期間 【ウィキペディアから引用】)の未固結の下陣礫層が分布しています。

この表層地盤は、液状化しやすい層なのです。

緩傾斜地では、地盤の変状(亀裂など)は著しいですが、液状化した形跡は、熊本県上益城郡益城町馬水(くまもとけんかみましきぐんましきまちまみず)の駐車場など、一部を除き確認できませんでした。

河川に近い、さらに傾斜が緩い箇所の、地盤変状が激しい箇所では、湧水が多く見られ、水たまりがありました。

湧水から判断して、地下水位は浅いと考えられます。

阪神淡路大震災でも「震災の帯」の地域は、地下水位が2メートル以下と、きわめて浅いのです。

およそ6400年前の縄文海進により、軟弱層が発達している地盤も、緩い傾斜面が多くあり、神戸市南部と益城町の地質は、似たような条件なのです。

液状化には至らないまでも、地震により、地層の間隙水圧が高くなるせいで、地盤支持強度が落ちた可能性が高いと考えられます。

緩い傾斜地ですので、地盤の支持力が落ちた地層は、傾斜方向に滑りやすくなります。

その結果、家屋の基礎が損傷して、大きな被害をもたらした、ひとつの要因と考えられます。

新たな分岐断層が、布田川断層から枝分かれして、表面に出ていると考えられています。

また、この分岐断層が、被害集中地域の益城町中心部に向けて延びていると、考えられています。

断層分布や地盤情報などの検討が必要でしょう。

国は建物の耐震基準や設計には熱心ですが、地盤の耐震化は、300平方メートル以上の、大規模谷埋め埋土地(土砂で盛土して谷を埋めた住宅)に適用されているのみです。

問題は多くあるようです。