阪神淡路大震災の被害地域は軟弱層からなる都市地盤
河内湾が誕生は、縄文海進によります。
縄文海進とは、縄文時代前期(約1万~5500年前)にあった海進。最終氷期のあと気候が温暖化に転じ、約6000年前をピークとして現在の海面より約2~3メートル高くなった。当時の海岸線にあたる場所に多くの貝塚が存在することが知られる。【コトバンクから引用】
縄文時代(今からおよそ6400年前)の初め、暖かくなった気候により、海水準(静止したときの海面)が高くなり、海水面がおよそ3メートルも高くなりました。
そのせい、海に河内平野が侵入し、生駒山の麓まで海が侵入し、河内湾が造られました。
三角州が、大和川や淀川から運ばれた土砂で形成され、河内湾が埋め立てられます。
尼崎平野や大阪平野は、このようにして形成されました。
全国の平野も同じように形成されます。
堆積(たいせき)した土砂の主体は、泥や砂で、とても柔らかい未固結の軟弱な地層です。
未固結とは、土粒子相互間の結合力が弱く、土粒子の分離が比較的容易であるか、または親指もしくは親指爪を押し込める状態にあること。【Weblio 辞書から引用】
粘土層は、まさに泥田です。
地盤は緩く、地盤の強さを示すN値は10以下です。ここは非常に緩い地盤で、N値は時には、0から5程度となります。
N値とは、地層の硬軟を示す値。ボーリングする際に重さ63.5kgのハンマーを75cm落下させて試験用サンプラーを、30cm土中に打ち込むのに要する打撃回数をN値という。この値が大きくなるほど地層は硬い。関東ローム層のN値は3~5程度、軟弱な沖積粘性土は0~2程度である。中高層建築物の基礎は、一般にN値30~50以上を支持層としている【Weblio 辞書から引用】
阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)は、軟弱地盤から浅い地下水位域で、被害が大きかったのです。
この軟弱地盤において、家屋が甚大な被害を受けました。
阪神淡路大震災の被害地域は縄文の海と堆積層
尼崎地域では縄文海進により、JRの先の阪急線の南側まで海になりました。
武庫川や猪名川から土砂が運ばれ、海底に堆積(たいせき)し、平野が形成されました。
地下およそ30メートルまで、沖積層(ちゅうせきそう)が厚く堆積しています。
沖積層とは、河川による、低地の堆積物。礫(れき)・砂・泥など。河床・氾濫原・低湿地・自然堤防・扇状地・三角州などの地形をつくる。河成堆積物。【Weblio 辞書から引用】
尼崎粘土層と呼ばれる、沖積層の中で海成粘土層(細粒土が海水中に流れ込みつくられた堆積物)は、海岸部ほど厚くなり、15メートルにも達します。
一般に尼崎粘土層のN値は、0~1程度ととても軟弱です。尼崎粘土層は、地盤支持力がとても弱いのです。
縄文海進で形成された、神戸市付近の沖積層
河川が、山の多い土地から流れ下り、平地に入ると、丘陵地を浸食し、谷が形成されます。
地形を細かく分けていき、砂礫(されき – 砂と小石)で扇状地を形成します。
扇状地とは、川が山地から平地へ流れる所にできた、下流に向かって扇状に拡がる地形。流れの勢いが急に緩やかになって砂礫を堆積した結果、形成されたもの。
縄文海進による沖積層が、山麓状地の末端部に分布しています。
神戸市内の花隈(はなくま)の崖などで、縄文海進の海岸線が残されています。
現在の海面を、当時は3メートル上回っていてました。崖を造ったのは、その波です。
神戸駅付近の地層の分布を確認しますと、被害の大きかった長田区や灘区、東灘区の南部に分布しています。
縄文海進に堆積した軟弱層が、日本の都市平野部を形成しています。
阪神淡路大震災の被害地域の軟弱層で地震動が増幅
阪神淡路大震災での地震被害は、「震災の帯」と言われる、帯状の地域に集中ししました。
「震災の帯」は、神戸では山麓部と海岸部に、挟まれた、細長い地域を指します。
ここでは震度7と、超震度7の地震が発生しました。
「震災の帯」には、まだ知られていない活断層があると言われました。
今回の地震は、その活断層によるものだと、考えられていましたが、その後、調査したところ、結局は活断層は見つかりませんでした。
花崗岩基盤が急激に深くなっている、六甲山麓から市街地にかけ、この地下構造に規制され、幅の狭いゾーンに集中した地震波の、フォーカシング現象が提案され、支持されています。
ですが、縄文海進で造られた沖積層と、「震災の帯」は対立していて、地表地盤の特性も、大きくかかわっていると考えられます。
長田区、灘区、東灘区の南部に、縄文海進に堆積した軟弱層が分布しいて、この地域が甚大な被害を受けたのです。
また、軟弱層が分布しない元町付近では、長田区、灘区、東灘区の南部ほどの被害はなかったのです。
地震の被害は、軟らかい地盤ほど、地震の揺れが増幅され、大きくなります。
沖積粘土層が厚い、地表部の超軟弱層ほど、大きな被害となります。
長田地区の地表から、沖積粘土層が厚い、深さ5センチの地下構造では、大きな被害を被りました。
地震被害と地盤の関係として、沖積地盤で、古い木造住宅の被害は、たいへん大きく、やや大きいのは洪積地盤、続いて、岩盤地盤で小さくなります。
被害は、地盤により違っていて、地盤による影響がとても大きいのです。
これらから、大きな被害を受けた地域は、軟弱な沖積地盤からなる「震災の帯」ということになります。
1995年1月25日の余震で、沖積地盤に建つ福地小学校では、岩盤に建つ神戸薬科大学の、およそ10倍の振幅が記録されています。
「震災の帯」の原因として、大きな要因のひとつ、軟弱地盤もあげられるでしょう。
阪神淡路大震災では地下水位の浅さも影響
地下水位(ちかすいい)とは、平均海面(海水面)を基準として測った地下水までの深さ。地下水が大気に接している面が地下水面。地下水位の測定はボーリング孔や鋼管の打ち込み、孔内の水面までの深さを測定し、求めることができる。【Weblio 辞書から引用】
建築時のボーリング資料や、家屋の井戸から、地下水位が浅いことが判明したそうです。
震度7と超震度7の「震災の帯」の地域では、地下水位が、およそ2メートル以下であり、とても浅くなります。
木造家屋倒壊率が、およそ50%以上の超震度7地域、特に沖積層が多い長田区、灘区、東灘区では、1.5メートル以下と、さらに、地下水位が浅くなります。
これらから、地下水位の浅さと被害甚大地域は、密接な関係と言えるでしょう。
地下水面より下の地層は、水に飽和しています。ここが地震で揺さぶられますと、土粒子間の水は体積が減少されず、間隙水圧(地下水による地盤内の水圧)が上がります。
それにより、土粒子の結びつきが弱くなり、地盤支持力が落ち、古い木造家屋は、簡単に倒壊してしまいます。
このように、軟弱な沖積層が地表近くに存在し、地下水位が浅いせいで、神戸市街地は、大規模な被害にあったと考えられます。
土粒子とは、土を構成している固体粒子。土粒子には風化によってできた岩石の分解物・火山噴出物・粘土鉱物・動物や植物の遺がい及び工業製品の廃棄物などがある。粒子の大きさ(粒径範囲)によって、礫、砂、シルト、粘土、コロイドなどに区分される。【Weblio 辞書から引用】